政治・安全保障問題と国連 3

2国間の場合はまだましですが、多数の国が集まって作り上げる条約の場合・・・


各国がさまざまな、自国本位の主張をして、その妥協点を条約という文書にまとめ上げるのですから、個々の規定は、いかようにも解釈できるように工夫されることがあります。


また、あるいは重要な争点については話がまとまらないために、条約の中では扱わないということも間々あるのです。


多国間条約となりますと、日本だけが反対して条約ができなくなると大変なことになる場合もありますから、いい加減なところで妥協しなければならない場合も出てきます。


・・・こうして、国内法を扱う感覚でぎりぎり詰めたら、いくらでもボロが出てきます。


国内法の場合、法律を起案するのは、多くの場合、場数を多く踏んだ官僚機構です。


しかも国会の承認を得るために提出するに先立って、内閣法制局(いわば政府レベルの法律の番人)の審査を経ることになっています。


・・・したがって、条約の場合に見受けられるようないい加減な内容は、事前にかなりチェックされるようになっています。

政治・安全保障問題と国連 2

憲章の規定はあるし、その規定が生かされれば対処できるのに、現実にはその規定が生かされていないために国連として対処できなくなっている場合もあります。


・・・このように考えますと、今後の国連のあり方という問題を考える上では、国連憲章の中身を正確に理解しておくことが是非とも必要であるということがお分かり頂けるのではないでしょうか。


ただし、あらゆる条文について訓詰学的な解釈を行うということではなく、国際関係、国際政治との係わりで、どういう規定がどういう意味を持つかというところを重点的に押さえておくということです。


国連憲章を読む場合の一つの重要な落し穴ともいうべき点を指摘しておきたいと思います。


それは、「国内法との類推の危険」とでもいうべきことです。


私は以前、条約の締結事務を手がけたことがあります。


言葉は悪いのですが、条約とか協定とかいわれるものは、実はきわめていい加減にできていることが多いのです。

政治・安全保障問題と国連

私は、国連問題の専門家ではありません。


ただ私は、国際政治・安全保障という面で、国連がどういう機能・役割を担っているか・・・


また、とくに大国との係わりによってどのような問題が起きるのかという点に大きな関心を持っています。


この問題意識は、1990年8月以来の湾岸危機・戦争によってますます強まりました。


私は、これからの国際社会では、国連の担うべき役割は次第に重要なものになっていくだろうと思います。


また、少数の大国の思いのままに国際関係が動かされることがないようにするためにも、是非とも国連の機能を強めることを考えなければならないとも思っています。


しかし、主権国家からなる国際社会の中で国連が本来の機能を果たすためには、克服しなければならない問題が少なからずあります。


これらの問題のあるものは、国連憲章の規定自体に問題があるために生まれている場合があります。

世界政府ではない国連

国際の平和と安全の実現という課題に関し、国連は連盟と同じく、主権国家の上に立つ世界政府としてではなく・・・


あくまでも主権国家を中心とする国際社会の中で、これらの国家の同意を前提としてのみ動くことができる組織だということです。


国際の平和と安全に主要な責任を持つ安保理は、重要な問題については、アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国といういわゆる5大国のうち1力国でも反対すれば、それだけで一切の活動ができなくなるようになっています。


他方、これらの大国が結束し、あるいは互いになれ合いますと、中小国の立場を踏みにじる行動に出ることも可能なのです。


・・・そのいずれの場合でも、国連自体はなすすべがありません。


私たち日本人は、国連をあまりにも美化して考えることが多いだけに、この点はとくに冷静に認識しておくことが必要です。


さて、次回からは、国連の政治と安全保障という2つの主要分野に限定して、その予定されている機能と運用上の問題を扱いたいと思います。

日本産業の限界 3

自動車を世界で1、2を競う国際競争力のある産業に育て上げたジャスト・イン・タイム方式が、自動車部品の輸入を難しくしていることは、否めない事実です。


そして、このような生産方式が、自動車に限らず日本の産業に貫徹しているのです。


最近の円高現象が、この方式をいささか修正をもたらしているとはいえ・・・


「カンバン方式」は閉鎖的システム以外の何ものでもないでしょう。


この目的を達成するためには、自動車メーカに納入される部品は100パーセント品質保証されていることが大前提です。


それとともに、自動車メーカの下請けにあたる部品メーカは、自動車メーカの意図・要求に応じて生産することになります。


・・・このことは部品生産の組織は別企業でありますが・・・


実質的には自動車メーカの計画・意志そのものが、部品メーカに反映されており、生産関係は全く閉鎖で、ムダを徹底的に排除するという理念のもとで考案されたものです。


すなわち、製品在庫ゼロ、したがって製品に必要な部品在庫をもゼロにすることがこの方式の大きな目的です。


日本産業の限界 2

最近、円高現象のため、日本からの輸出品の中で、いったん外国に出たあと国内に逆流している製品が増えているとはいえ・・・


日本の消費者は、日本のメーカーが日本人のためにビジネスしていると考えているとバカをみることになるのです。


もし、そうでないとするならば、台湾製のカメラを日本に輸入することが、国家間の水平分業を高める上でも、また消費者のベネフィット(利益・恩恵)を高める上でも、必要不可欠の企業行動だというべきでしょう。


日本・西ドイツ両国の輸出用完成品をつくるために、他の国から輸入した部品をどれぐらいの割合で使っているかを示した表があります。


西ドイツのトランジスタ等電気機器や自動車の部品輸入量は、決してほめられたものではないですが、その西ドイツと比較して、日本の部品輸入の少なさは言語に絶するのです。


いかに日本国内の産業構造が自前主義で支えられており、部品輸入が完成品輸入以上に閉鎖的なものであるかがよくわかります。


・・・そしてこのことは、日本の産業が、何から何まですべてのものを国内で賄うフル・セット主義で、組織されている証なのです。


なぜ、そうなるかを個別的に自動車産業にみてみましょう。


日本の自動車メーカの場合、"ジャスト・イン・タイム"あるいは「カンバン方式」という独特の生産方式をもっています。


・・・この方式は「必要なものは、必要な時に、必要な量だけつくる」という考え方的にならざるを得ないのです。

日本産業の限界

日本の水平分業度が低いことは日本が輸入に関して、外国製品に対して閉鎖的です。かりでなく、日本の消費者をも愚弄していることです。


具体的な体験を記しましょう。


昨年(1987年)の初秋、わたしはこんな体験をしました。


成田空港のハミルトン カーキなどブランド時計を売っている免税店で、ニューヨーク5番街の目抜き通りに、ひときわ目立つネオン広告を出している日本の代表的カメラメーカの製品である全自動のポケットカメラを1台、日本円で3万円弱で買いました。


ところが2日後、カリフォルニアのサクラメントの普通のデパートで、機能的にはほぼ同じにもかかわらず、価格が、アメリカの消費税を含めても1万円強のカメラを買ったのです。


値段は、成田空港で買ったものの3分の1でした。


機能的にほぼ同じと記したのは、レンズカバーが少し違うからです。


実は、このカメラ、日本の同じメーカーが台湾でつくっている製品なのです。


メイド・イン・ジャパンとメイド・イン・タイワンとの違い、ブランド名の違いだけで機能的に他は全く同じです。


・・・カメラの値段が日本とアメリカでは3倍の差があったのです。


このような体験はわたしだけでなく、海外に出る日本人はカメラに限らず、他の商品についても少なからず経験していると思われます。

見せかけの自前経済 2

水平分業度指数といわれるものがあります。


平分業度指数とは、ひとことでいえば、ある国が輸出する製品と同じ外国製品をどれぐらい輸入しているかを測る尺度のことです。


たとえば、田本が100台の自動車を輸出する一方、外国から100台の自動車を輸入しているとすれば、水平分業度指数は100です。


また100台輸出しているにもかかわらず、輸入がゼロ台であれば、水平分業度指数はゼロです。


・・・したがって、完成品の輸出と輸入が全体として均衡している場合は、水平分業度指数は100であり、輸出あるいは輸入に完全に偏っている場合は、指数はゼロです。


この表でわかるように、日本・西ドイツを比べると、化学製品を除いて、水平分業度指数が100に近い製品の数は、日本よりも西ドイツの方に圧倒的に多いのです。


これは西ドイツは、日本と比較して、輸出と輸入のバランスをとっていることの証拠です。


自動車にいたっては、日本の輸入量は、輸出量に比べてほとんど無に等しいのです。


このことはスカイ・ラインでもわかることでありますが、個別の製品をとってみるとより具体的にわかるのです。

見せかけの自前経済

日本に大幅な貿易黒字をもたらしている"輸出はする"が"輸入はしない"・・・


あるいは"できない"という極端なまでに閉鎖性の強い、擬制の自己充足型産業は、国外関係において「ジャパン・バッシング」という現象を顕在化させています。


他方、この産業構造は、国内的にも、潜在的に大きな問題を内包していることを私たち日本人は、肝に命じておく必要があるのです。


日本の産業構造がうちに抱える問題は、それが擬制・・・


みせかけの自己充足型産業構造であることにあります。


・・・というのは、日本経済は、素原料、一次産品を日本国内ではほとんど自給できず、輸入に頼っており、もし戦時中のA・B・C・Dラインなどのようなもので輸入がストップすれば、この擬制の自前経済は瞬時にしてひとたまりもなくなってしまうのです。


現在の日本の産業構造は資源の輸入が保証されてはじめて成立しているのであり、真の自己充足型経済ではないのです。


その意味で日本は、素原料を輸入し、それをもとに中間財、最終製品を輸出できる国際貿易体制から孤立しては、自国の経済運営は図れないのです。


・・・したがって日本が自由貿易体制の中で生きていくためには、"輸紛入しない"閉鎖的な産業構造を"輸入する"開放的な産業構造に変えていくことが何よりも肝要なのです。

邪魔者を排除するという考え

すでに一部の先進的な企業、地方公共団体においては、新しい産業施設・都市造り、交通施設の建設に際して、限られた空間に積極的に郷土の森・環境保全林を形成する努力が進められてきています。


・・・しかし、私も含めて人間というものは、自然に対しても、自己の都合ばかりを主張するきわめてエゴイスティックなところがあります。


さまざまな花 種、樹林が少し大きくなるとすぐに、葉が落ちる、落葉で樋がつまる・・・


あるいは少し日かげになる、虫が出てくると、生活域を生態学的に支えている小さな樹林や並木に対してすらも伐採や枝打ち、芯止めを強く要求したりします。


それぞれの人たちが、緑・自然に対しても多様な価値観をもっており、さまざまな願望・欲望をもっているということは、健全な静物社会・人間社会では、むしろ好ましいことです。


・・・しかし、私たちが限られた地球上で、日本のせまい都市域で、生物社会の頁・生態系の消薯の立場で生き抜くために鰯は、多少の我慢はしなければなりません。


すべての邪魔物を排除して、自分だけが生き残ることは出来ないのです。