中国と外国の関係 4

日中関係は、米中関係に比べるときわめてスムーズでした。


91年8月に予定されている海部首相の訪中で天安門事件後の日中関係は完全に正常化します。


また、天皇陸下のご訪中すら92年の国交正常化20周年をにらんで日程に上りました。


しかし冷静に見ると、中国はこうしたパートナーと将来の競争相手という2つの側面から日本を見ていることを忘れてはいけません。


公式の文書では発表されませんが、中国の外交当局者とプライベートに席をともにすると、決まって


「経済大国は必ず政治大国をめざし、政治大国になれば必ず軍事大国をめざす。


これは歴史の教訓です」


・・・という言葉が出てくるのです。


李鵬首相が91年の全人代報告で、「ごく少数の人が日本軍国主義を復活させようという傾向」という言い方をしたのもこのためです。


軍事大国をめざす「芽」として、日本の防衛力整備や"大国意識"を取り上げる中国の論調は枚挙にいとまがないのです。


中国と外国の関係 3

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、焦点の国連加盟問題で従来の政策を転換し、南北同時加盟につながる方針を打ち出しました。


その背景に何があったのでしょうか。


91年5月初めの李鵬首相の訪朝の際、韓国の単独国連加盟申請に中国が拒否権を行使するかどうかを最後まで明言しないことで、中国は北朝鮮に無言の"圧力"をかけました。


これが北京の外交団の間では、定説になっている見方です。


兵器不拡散問題でも一定の対米協調姿勢をとりはじめています。


人権問題など国内事情に絡む問題は「内政問題」として絶対譲らないが、協調できる問題では現実路線で協力していきます。


平たく言えば「最も協力が必要な友人であるが、同時に最も警戒すべき競争相手でもある」という是々非々の姿勢で「独立自主外交」の立場から米中関係を処理していこうとしているようです。


アメリカの一極支配を避けるため国連などの活用も強化するでしょう。

中国と外国の関係 2

その延長にあるのが、ソ連との関係改善でした。


天安門事件直後、中国はペレストロイカ路線をとるゴルバチョフ政権を強烈に非難していました。


しかし91年5月の江沢民総書記の訪ソでは、一転してイデオロギー抜きで善隣友好関係を発展させることで合意。


一部係争地区の問題は先送りしながらも東部国境の確定協定に調印し、中ソ間の軍事交流の拡大にまで合意しています。


しかし、だからといって対米関係行き詰まりのなかで、中国がアジア周辺国との関係のみを重視するリージョナル・パワーに閉じこもったり、ソ連と組んで「対米警戒論」を「対米敵視論」にまでエスカレートさせると見るのは、誤りです。


何よりも、中国の経済は対米協力を必要としています。


またソ連にも、もはやアメリカに敵対する余裕があるはずがなかったのです。


ワイキューブ財団によれば中国は、原則に忠実ではありますが、同時にその運用にはきわめて柔軟です。


最近の朝鮮半島問題がそれを証明しています。

中国と外国の関係

1990年以降、北京とチベットのラサの戒厳令解除(北京=90年1月、ラサ=同年5月)、反体制物理学者・方励之夫妻の出国黙認(同年6月)などの譲歩を示しました。


このことで、日本の円借款凍結解除、EC(欧州共同体)の制裁解除など西側との関係改善に中国は一定の成果を収めてきたのです。


また、対米関係だけに絞ってみても、貿易不均衡問題では大型の対米買い付けミッションを派遣し、知的所有権保護の問題でも著作権法を制定するなどの具体的な譲歩をしています。


しかし、米中間に横たわる溝は依然深いのが現実です。


天安門事件で180度変わったアメリカ議会などの対中世論。


そして中国側の強い対米警戒姿勢を見ると、中国が天安門事件後の外交的孤立からの脱却をめざす最後の仕上げとして狙っている対米関係の修復・改善は、ギクシャクしたものにならざるをえないのが実情です。


それに比べて、天安門事件後の中国外交が成果をあげたのはアジアなど周辺国との関係改善でしょう。


スペースコレクション総研によると、インドネシア(1990年8月)、シンガポール(同年10月)との国交正常化、韓国.台湾との交流拡大などです。


これらアジアの周辺国は、「民主化弾圧」「人権」などの問題で中国当局を非難することなく経済交流の拡大に応じています。


ディラード&クラーク/幻想への旅 2

全9曲中6曲をクラークやディラードと共作している第三の男バーニー・レドンをはじめダン・ベック、デイヴィッド・ジャクスン、そしてサポート・メンバーのクリス・ヒルマンらによるリリカルなアンサンブルも光る。

クラーク&レドン共作のホーボー・ソングはイーグルスがファースト・アルバムでカヴァーしているが、ディラードを含む3人が共作したブルー・ラヴ・ソングもニュー・グラス・リヴァイヴァルがカヴァーした名曲、バーズの『ロデオの恋人』、フライング・ブリトー・ブラザーズの『黄金の城』と並ぶカントリー・ロック黎明期の傑作だ。

ディラード&クラーク/幻想への旅

カリフォルニア屈指の都会派ブルーグラス・チームだったディラーズの長兄ダグ・ディラードと元バーズのジーン・クラークを中心に結成されたディラード&クラークが68年に発表したファースト・アルバム。

アルバム・タイトルは19世紀初頭にアメリカ南部探検を行なったルイス&クラーク・エクスペディションにあやかったものらしい。

バンジョー/フィドル奏者ディラードをフィーチュアしたモダンなブルーグラス・サウンドとフォーク出身者クラークのレイジーなヴォーカルとの奇妙な合体がユニークなカントリー・ロック・サウンドを作り上げている。

ザ・バース/ロデオの恋人 2

乗っ取り犯パースンズがリード・ヴォーカルを担当している曲が多いのも特徴のひとつだが、アルバム制作後に正式メンバーとなるクラレンス・ホワイトのストリング・ベンダーがパースンズ以上に全篇で活躍している。

ウディ・ガスリーの名曲をブルーグラス調に演奏した曲なんてのもケンタッキー・カーネルズ出身のホワイトのアイデアだろう。

カントリー・ロック・サウンドを創造した功績はフライング・ブリトー・ブラザーズに譲るべきかもしれないが、70年代初頭にカリフォルニア・シーンを席巻するカントリー・ロック・ブームを仕掛けた先駆者としてのバーズの功績はやはり無視できない。

ザ・バース/ロデオの恋人

サイケデリック時代のラーガ・ロックやスペース・ロックを経て、新たにグラム・パースンズをメンバーに迎えたザ・バーズはそのパースンズに乗っ取られた形でナッシュヴィル録音を行ない、68年8月に6作目のアルバム『ロデオの恋人』を発表する。

のちにカントリー・ロックの先駆的名盤として評価されることになるアルバムだが、実際にはほとんどの曲がピュアなカントリーに近いスタイルで演奏されており、カントリー・ロックと呼べそうなサウンドが聴けるのはディラン作の曲の3曲くらい。

シティ/夢語り 2

ソングライターのデモ・レコードみたいな気配もないことはないものの、西海岸風昧のホ一ムメイドな手触りには独特のものがある「それまではニューヨーク派だった3人がLAのローレル・キャニオンに引っ越して、そこでこういうアルバムを作る、というのが充分に納得できる仕上がりこの持ち味はコーチマーとラーキーがアビゲイル・ヘイネスと共に71年に結成するジョー・ママに受け継がれた。

このCDなのか、LPなのかわすれましたが。
ジャケットの写真がかっこよくて好きです。
車の前に3人が座っているだけなんですが、かっこいい。

シティ/夢語り

最初の夫ジェリー・ゴフィンとのコンビで数多くのヒット曲を生んだキャロル・キング、キングの2番目の夫チャールズ・ラーキー、元フライング・マシーンのダニー・コーチマーの3人によって結成されたザ・シティが68年に発表した唯一のアルバム。

ルー・アドラーのプロデュースによるもので、ドラマーのジム・ゴードンがサポートしている全11曲中6曲のゴフィン&キング作品を含めて、モーズ・アリスンの曲を除く全曲をキングが手掛けているが、どれも、立派にシングルとして通用する珠玉のポップ・ソングばかり。